部活の話

私は大学受験の合格率だけが取り柄のような公立の進学校に通っていた。

この高校に合格するにあたり大変にお世話になった塾は高1の半ばで早々に辞め、学校の死ぬほど多い宿題は無視して、といった感じで制限の多い部活以外に私は何一つ頑張っていなかった。

 

自己肯定の拠り所となっていたハンドボール部は先輩の引退後残された部員はたったの4人。しかもその年の新入生はゼロ。

 

消去法で先輩からの指名を受けた私が部長となった部活はそんな弱小部活動だった。

 

 

女子ハンドボール部はどの高校でもマイナースポーツの常で部員数の不足に悩まされている為、強豪校以外はほぼ交代要員もいない状況で、さらに毎年合同チームが対戦表に2、3チーム混じっていた。

当然私たちも近所の高校と合同チームを組んで弱小ながらも汗を流してボールを追うのだと思っていた。ごく楽観的に。

 

結局私たちの代が初めて公式戦に出たのは最後の大会の一つ前、冬の市大会だった。

 

男子にグラウンドを譲りアスファルトの上で過ごした5か月間の放課後。

目標のない夏合宿。

学校から禁止されているために個人の遊びという名目をたてての早朝練習。

 

すべて私の積極性のなさとかそういう目も当てられない程情けない性質と、そして部員みんなのクソがつく程の真面目さのせいだ。

 

きっとみんな高校二年の大事な時間をこんな風に過ごす予定じゃなかったはずで、県ベストエイトの男子部の練習を横目に怪我だらけのボロボロの足で硬い地面の上を走るだけの放課後も日陰のない砂の上で終わらない休憩時間にじりじりと休日を潰されることも想定していなかったはずだ。


それでも4人とも引退で部活動から解放されるまで自分から辞めることはしなかった。


 

私は現役時代もそして冗談交じりに話せるようになってからも彼女らに部活を辞めたいか、辞めたいと思ったかどうしても聞きたい言ってしまいたいと思った。

みんなで顔を付き合わせて真面目な話をしたし、ときには感情的に怒鳴ってしまったこともあったのに、どれだけ気持ちが高ぶっても一度もそれを口に出せたことはない。

 



小学校の子供会のクラブ活動でキャプテンをして、中学の部活動ではたった1人の同期が先生に反抗的なヤンキーだったために部長を任された。


散々望んだわけでも望まれたわけでもないのにリーダーをやってきて、自分がめちゃくちゃリーダー業が苦手なことは割と早めに気づけたし、苦手なりにどうやってまとめ役をやればいいのか考えてきた。

 


結局、「部長らしいこと」をなるべく徹底した。自分は部長だから偉そうに振る舞うし、自分を棚に上げてる後ろめたさを無視して気になったことはどんどん言った。

慕われていない後輩に偉そうにするのも、同期に対して上から物を言うのも、周りが許してくれる人達だったお陰で苦にはならなかった。


いい部長では無かったけど、部長という仕事をするにはそういうシステムの方が私にはあっていたからそれでよかった。



でも、みんなはどうだっただろう。

体力も無くシュートも決められない私に、男子の練習に混ざりなよ、と言ってもらったのに曖昧に断った私に、 試合に出る算段もせずに練習をするだけだった私に高校時代を奪われた他のメンバーは、どう思ってたのだろう。



私以外の三人誰でもいいから部長が私でさえなければもっといい高校時代を送れたに違いない。そうやって思われている気がしてたまにとても怖くなる。


未だに許して欲しいと泣いてしまう日がある。私は高校の部活動という長くぼんやりと間延びしたトラウマを克服できずにいる。